ネパールにおける初等教育の発展(1951年前)-I
ネパールの初等教育の発展に1951年前と1951年後の発展として大きく二つに分ける事ができる。まず1951年より前の初等教育歴史を分析して見よ。
1951年前の発展に以下の様に説明する事できる。
① Gurukul Education
② Gumba Education
③ English Education
④ Sanskrit Education
⑤ Vernacular Education
⑥ Basic Education
① Gurukul Education(グルクル教育)
グルクル教育は、グル(GURU先生)の所に行って(住んで)受ける教育である。グルクル教育にBaidik Sikchya(バイジック教育)も言える。ヒンズ教の本ベヅ(BED・RIGBED)の元に教える・学べる教育であり、カスト制度によってバラマンとチェッチヤが受けられる教育である。(ヒンズ教のカスト制度に高カストと低カストとして四つに分けてある。それによって、一番はバラマン(Brahmin)、二番はチェッチヤ(Chhetri)、三番はバイシャ(Baishya)と四番はスダラ(shudra)となる。)教育受ける期間に心からグルの心から世話する、言う事する、悪い事が間違えてもしない事が大事である。バイジック教育はSanskrit語で教える。
バイジック教育の入学(教育始まる年齢)年齢は5歳であり、教育受ける期間は3年間である。
仏教によって教える・学べる教育はグンバ教育である。これはグンバに行って(住んで)受けることになる。宗教、言葉、文学、ペンチング、音楽など学ぶグンバ教育がパリ語で教える。グンバ教育は仏教のtripitakの元に教える。仏教によって教育に二つのレベルに分けている。①初等教育(レベル)②高等教育(レベル)。初等レベルに教える教師にAcharya (アチャリャ)やKarmacharya(カルマチャリャ)と高等教育レベルに教える教師にUpadyaya(ウパデャヤ)やUpali(ウパリ)と言う。グンバ教育の入学年齢(教育始まる年齢)6歳であり12年間の初等教育修了後、高等教育に入学する事できる。現在でもネパール、スリランカ、中国、日本、インドなどの国にグンバ教育受けさせている。
③ English Education(英語教育)
1850年に当時の総理大臣Jangabahadur Rana(ジャンガバハズラ ラナ)がイギリス訪問に行った時ヨーロッパに教育発展できているから国の発展もできているという事に気がついた。1年間長いヨーロッパ旅行・訪問から帰って来てからんネパールでも英語教育始めたいと思い、インドから2人の英語教師(Mr.Ross とMr Canning)に呼んで1853年10月にタパタリ ダカトク ダラバル(Thapatali Dahachowk Darbar)にネパールの初めての英語で教える教育機関が設立された。しかし、この教育は一部のラナ家族の子どもたちのためだけだったため、一般の市民の子どもたちが受ける事が出来ていなかった。この学校は現在でもダラバルスクールと呼ばれている。
④ Sanskrit Education
Sanskrit教育はグルクル教育からはじまったとも言える。しかし、グルクル教育はinformal教育だったがSanskrit教育はFormal 教育である。Sanskrit教育はヒンズ教のお寺などに教える(始まった)事であり、Sanskrit語と文法を中心にベヅ、プラン(PURAN)文学などを教える事になる。また、1884年からSanskrit教育に数学、理科、社会学も含めたカリキュラムを行う事になった。1875年にBojpur郡のDinglaにKhadananda Adhikariが設立されたKhadananda Pathsalaはネパールの初めてのSanskrit学校である。
⑤ Vernacular Education
1900年Dev shamser Ranaが総理大臣になってからネパールでVernacular教育を始まった。Vernacular教育行う学校にBhasa Pathshalaと呼ばれていた。本教育プロジェクトの目的は市民に少なくても初等教育受けさせる事であった。ネパール語で教育教える目的で行ったこの教育に数学も教える目的であった。そのため「aksyarankka siksya」と言う本(カリキュラム)を開発し、それにネパール語、文法、数学、イスラム教の月、年などの事などを含めていた。Dev shamser Rana総理大臣が全国に300個のこの様なBhasa Pathshala設立する目的だったが、自分の113日の短い総理大臣期間に150個のPathshalaしか設立することできなかった。
⑥ Basic Education(基礎教育)
基礎教育はインドから導入された教育制度である。自分に必要である物が自分で作る、自分で開発する事が出来る様な教育を教えるのは本教育の第一の目的であった。当時本教育制度はインドに人気もあり、また、良いと感じており実施されていた。インドのこの教育制度がネパールに導入されたのは当時のネパールの総理大臣Padma Shamser Ranaだった。1947年に全国で14個も基礎教育を受けさせる学校を設立する事が決めた。基礎教育の目標は、読み書き能力を発展する、教育とビジネスの能力発展する、農業、ネパール語、数学、社会学、理科、ペンチング、インド語など学ぶ事であった。基礎教育に初等教育期間が7-8年間までだった。本制度(教育)インドに大変効果的になってもネパールにはそんなに効果的にはならなかった。
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